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誰も読まない記事にどんな価値があるのか

ブログで記事を書いてみると、このネットの片隅でさえ少しは読んでいただける機会があるということがわかる。

もし、ネットがない時代に、自分で小説を書いていたりしたらどうだったのだろうか。文学賞に応募したり、出版社に持ち込んだり、友人に見せたりして他の人の目につくこともあるだろう。ごく私的に書いて葬り去られたものも多かったのかもしれない。では誰にも読まれなかったり、ごく限られた人にしか読まれなかった小説は価値がなかったのか。

文章がどの程度私的(private)から公的(public)かはその文章の価値に影響しないような気がする。子供が母親に初めて書く手紙はその母親にとっては貴重なものであるだろう。価値の中にも商業的な価値と、読み手の価値は同一ではないから。

そうすると、誰も読まない記事であっても、自分が読み手で価値を感じればそれで書いた意義はあるのではないか。書くということはその行為自体が書く価値を感じてのことだから、読まれない記事であってもよいと考えるのはおかしいのだろうか。