駄文を書き続けるといつか俺の知らない俺の形が見える

駄文を書き続ける意味をずっと考えていて、その意味は結局そのうち俺の知らない俺が見えてくることじゃないかと気づいた。

ある目的を意識して最適化を繰り返して行くと、結局普遍的なものにたどり着いてしまう。どんどん概念してしまうと、ほとんど何でもコンサルが書くような明快なチャートに単純化されてしまう。そこから出てきたものは、結局元をただせば概念にしか戻らない。

そうすると、書いたものから普遍的なものを引いた残りが個性と考えることができて、そこに俺の知らない俺が潜んでる気がする。これって性格分析の全く逆のアプローチだよね。

誰かに見てほしいとか、閲覧数を上げたいとか、収益を上げたいとか目的を掲げると結果的にはつまらんものになる理由が少しわかった。

ムキ出しの相川さんの記事がまた読みたいなあ。